はじめに
研究を終えたばかりなので、今回は少し研究関連のことを書いてみます。

学術界隈でよく言われる「巨人の肩に乗る」という言葉があります。
自分ひとりの力で遠くを見るのではなく、先人たちの成果の上に立つことで、より遠くまで見渡せるという意味の比喩です。
どれだけ優れた研究者でも、完全なゼロから出発しているわけではありません。
過去の理論や実証、議論の積み重ねがあり、その延長線上に新しい問いや発見があります。
正直に言うと、頭では理解していたつもりでした。
でもMBA、つまりビジネススクールで学ぶ自分には、そこまで関係ないのでは?とも思っていました。
ところが入ってみると、想像していた以上にアカデミックでした(笑)。
学者の方々にとっては当たり前の感覚かもしれませんが、社会人大学院生として学術領域に向き合う中で、この言葉の重みを少しずつ実感するようになりました。
「自分は実務側の人間」という線引き
ビジネスの知見を広げようと思って入学したはずが、思っていたよりもずっと研究寄り。
最初は少し戸惑いました。
そしてどこかで、線を引いていた自分もいました。
自分は実務の人間で、学術の人ではない、と。
大学院に通ってはいるけれど、本業はビジネスの現場。
アカデミックの世界は、自分とは少し違う人たちの領域。そんな感覚が、心のどこかにありました。
だから論文を書き始めたときも、「ここは自分のホームではないかもしれない」と少し身構えていた気がします。
先行研究を読むという通過儀礼
卒業要件の一つである修士論文に取りかかると、まず求められたのは徹底的な先行研究の整理でした。
関連論文を読み込み、理論の流れを追い、自分のテーマがどこに位置するのかを確認する。
何がすでに明らかになっていて、どこにまだ議論の余地があるのかを見極めていきます。
地味ですし、時間もかかります。
早く自分の主張を書きたいのに、なかなかそこまで辿り着けない。
でもそのプロセスを通じて、はっとしました。
自分の問いは、決して孤立したものではないということに。
似た問題意識を持った先駆者がいて、その人たちが積み重ねてきた議論がある。
その延長線上に、自分の研究をプロットしていく。
そこでようやく、「巨人の肩に乗る」という言葉が腹落ちしました。
ちなみに、良い時代に入学したなと思うこともあります。
国内外の文献を調べる際に、生成AIにかなり助けてもらいました。本当にありがたい時代です(笑)。
バトンを受け取るという感覚
研究というのは、先人たちの議論を読み解き、自分なりの視点で少しだけ前に進めることなのだと感じました。
単に知識を借りるというよりも、バトンを受け取る感覚に近いかもしれません。
そして論文を提出した今、ふと思います。
将来、誰かが自分の研究を引用してくれることがあるかもしれない、と。
自分もまた、誰かにとっての“先駆者”の位置に置かれる可能性がある。
大げさではなく、小さな研究であっても、先人から受け取ったバトンをつなぎ、次の誰かに渡した。その循環の中に、自分も入ったのだという実感があります。
それが、学術の領域に足を踏み入れた証のようにも感じられました。
仕事にもそのまま通じる
この構造を業務に置き換えてみると、仕事にもよく似ています。
新しいプロジェクトも、まったくのゼロから生まれることはほとんどありません。
過去の事例や理論、先輩たちの試行錯誤の上に成り立っています。
その流れを理解し、自分がどこに立っているのかを把握したうえで、一歩だけ前に進める。
そしてその一歩が、次の誰かの出発点になる。
学術の世界だけの話ではなく、実務の世界でも同じ循環が起きているのだと思います。
おわりに
社会人大学院に通う前は、学術はどこか遠い世界のものだと感じていました。
でも、先行研究を読み、自分の研究を位置づけ、そして未来の誰かにつながる可能性を持つ。その一連の流れを経験したことで、自分も知の連続性の中に立っているのだと実感できました。
「巨人の肩に乗る」という言葉は、謙虚さを促す比喩でありながら、同時にその輪の中に入るという宣言でもあるのかもしれません。
いま自分は、誰のバトンを受け取っているのか。
そして、自分は誰にバトンを渡していくのか。
そんな問いを持てるようになったこと自体が、アカデミックの領域にトライした意味だったのだと思います。
