こんばんは!
先日「できないだろう」から起こるイノベーションと題し、
脱・トレードオフ思考について綴ってみました。
今日はその第二弾。あの日本を代表するスポーツ選手を例に、
「脱・トレードオフ思考」について考察していきます!
前回のを読んでいない方・・以下よりお読みください。
本日の主人公・・・
Embed from Getty Imagesそうです。WBCでも有名になりました、大谷翔平選手。
彼を題材に、「脱・トレードオフ思考」について綴っていきます!
「二刀流」
彼は「二刀流」の選手として知られており、英語でも「two-way player」と称されています。
通常、投手として活躍している選手は投手専門。野手として活躍している選手は野手専門なのですが、
大谷選手の場合は投手として活躍しながら、野手としても打席に立つ。
まさに二刀流選手であり、投手と野手をどちらもこなす「脱・トレードオフ思考」の代表例と言えるでしょう。
こんな人がいたのか!
と、実はメジャーリーグ(MLB)のルールを変える状況にまで持っていった選手なのです!
※詳しくは「大谷ルール」で検索してみてください。
そんな大谷選手が二刀流選手になったのは?
そんな大谷選手が二刀流選手になったのは、高校時代に遡ります。
高校時代の大谷選手は、投げては160km。
打っては当時春夏連覇を果たした同級生の藤浪晋太郎(現・オークランドアスレチックス所属)から、
甲子園球場でホームランを放つなどの能力の持ち主で、
当時は卒業後、日本の野球界に入ることなく、アメリカでのプレーを望んでいました。
実はそこに「二刀流」という選択肢を与えたのは今回のWBCでも日本代表の監督を務めた、栗山監督。
ドラフト会議で1位指名を行い、交渉権を獲得。
すると、大谷選手のために約30ページにも及ぶ資料を用意し、育成方針などを提案し続けました。
実はメジャーの球団も大谷選手に目をつけていました。
メジャーの球団と日本のプロ野球の球団全てが、大谷選手を投手専念を求める中、
唯一、当時栗山監督の率いていた日本ハムファイターズが投手と打者の「二刀流」を容認したのです。
日本ハムがこの提案をするまでは、実は本人も「二刀流」なんて考えたことがなかったようです。
ですが、そんな提案を前向きに捉え、自らを信じて努力し続けたからこそ、
日本の野球界の常識を変え、メジャーリーグの常識を変え、ルールを変え、
今回世界一の立役者となったのです。
うーん、まさに「脱・トレードオフ思考」の代表例と言えるでしょう。
まとめ
今日は大谷選手の「二刀流」エピソードを綴ってみましたが、
やはり「脱・トレードオフ思考」の持ち主でした。
第一弾の吉野家、第二弾の大谷選手から、学んだ「脱・トレードオフ思考」。
多くの人が「できないだろう」と目を背けてしまうようなところにチャンスあり。
まさにそんなことを感じた2つの例でしたので、ご紹介でした。
次回もお楽しみに!!