一見すると「不安な結果」だが

先日、日本経済新聞に「大学のデータサイエンス、『身に付いた』半数どまり」という記事が掲載された[1]。文部科学省の調査によれば、大学生が自身のデータサイエンススキルについて「身に付いた」と答えた割合は約50%で、言語運用能力や課題発見・解決能力に比べて低いという内容だった。
データサイエンス教育が推進されている今、この数字だけを見ると「なぜ?」と感じるかもしれない。しかし、こうした調査結果を読むときこそ、「データをどう読むか」が試される場面でもある。
データは文脈とともに読むべき
まず前提として、調査対象の大学生すべてが体系的にデータサイエンス教育を受けているわけではない。文部科学省の資料を見ると、数理・データサイエンス・AI教育の必修化はまだ過渡期であり、大学によって取り組みの深度に差がある[2]。つまり、「すべての学生が同じスタートラインにいるわけではない」ことを忘れてはいけない。
さらに、言語や課題解決能力と比べて、データサイエンスは実生活での実践機会が少ない。例えば、言語スキルは日常のコミュニケーションやアルバイト、就職活動などあらゆる場面で磨かれる。一方で、Pythonや統計解析を日常的に使う場面は、理系学生や特定の分野を除けばほとんどない。
「わかる・わからない」が明確な分野ゆえの落とし穴
データサイエンスは、ある程度の理解がないとまったく手が出ない分野でもある。文系学生にとっては、数式やコードのハードルが高く感じられ、「できない」と自己評価しがちだ。逆に、言語やプレゼン能力といった分野は、ある程度の経験があれば「身に付いた」と感じやすい。つまり、スキルの性質によって「身に付いた」と感じるハードル自体が違うのだ。
エコーチェンバーに注意を
報道やSNSでは、「大学生のスキル不足」「教育の限界」といったネガティブな見出しが拡散されがちだ。しかし、こうした情報が繰り返し共有されることで、あたかもそれが「事実」として定着してしまう現象をエコーチェンバーという。
調査結果は貴重なものである一方、その読み解き方を誤ると、本質を見誤ってしまう。大切なのは、「数字を信じる」ことではなく、「数字を読み解く力を信じる」ことだ。
自分ごととしてのスキル習得
データサイエンスの学びは、あくまで「使ってこそ身に付く」ものであり、授業を受けただけで完了するものではない。もし自分の学びに不安を感じるなら、それは悪いことではなく、むしろスタート地点に立っている証拠だ。
学校だけでなく、インターンやプロジェクト、趣味の延長でもいい。小さくても「自分でデータを扱う」体験が、自信につながっていく。その積み重ねこそが、本当の意味でのスキル習得だと思う。
おわりに
メディアが出す数字をただ鵜呑みにせず、自分で問い直す視点を持つこと。データサイエンスを学ぶとは、まさにそういう態度を養うことでもある。
スキルが「半数どまり」かどうかは、受け手である私たちの解釈次第だ。
引用文献
[1] 大学のデータサイエンス、「身に付いた」半数どまり:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO91647820Q5A930C2CT0000/
[2] 数理・データサイエンス・AI教育プログラムに関する報告書 − 文部科学省 https://www.mext.go.jp/content/20250930-koutou02-000001987_1.pdf

