人生は100年あると言われるようになった。
この言葉を初めて聞いたとき、「そんなに長く生きるのか」と思った反面、どこか遠い話のようにも感じた。

けれど先日、歴史上の寿命のグラフを目にしたとき、その感覚がぐっと現実に近づいてきた。
人類の長い歴史のなかで、私たちはほんの最近まで「短く生きること」を当たり前としていた。
その変化を折れ線グラフで見た瞬間、思った以上に大きな衝撃があった。

ほんの数世代前まで、寿命は30年だった
1500年頃の世界平均寿命は、30〜35歳程度とされている。
これは乳幼児死亡率の影響が大きいとはいえ、成人しても50代で亡くなることが珍しくなかった時代。
寿命とは「与えられるもの」であり、生き延びること自体が挑戦だった。
この時代にもし「人生設計」という言葉があったとしたら、それは今とはまったく違う意味だっただろう。
進学、転職、セカンドキャリア、老後の生活…そういった選択肢が現れる以前に、
多くの人は生まれてからの時間を、ただ目の前の生活のために使いきっていた。
暮らしが変わり、時間がのびていった
1800年代に入り、寿命のグラフは少しずつ上を向きはじめる。
その理由は、医療よりもむしろ「暮らしの基礎」にあった。
清潔な水、食料の安定供給、住まいの安全。
人々が「死なずに済む環境」を整え始めたことで、初めて命の時間がのびはじめた。
第二次世界大戦後には、寿命は急速に上昇。
70年、80年と生きることが標準になり、ついには「人生100年時代」という言葉が生まれた。
ついこのあいだまで考えられなかった未来が、いま私たちの足元にある。
時間が増えると、問いも増える
時間が増えたことは、単純に「余裕ができた」とも言えるし、「選択が増えた」とも言える。
ただその分、「何のためにこの時間を使うのか」という問いは、以前より重くなった気がする。
SNSを見ていてあっという間に過ぎる1時間。
気づけば1週間、なんとなく流れてしまったような感覚。
寿命が短かった時代の人々には、おそらくなかった悩みかもしれない。
もちろん、すべての時間を有意義に過ごす必要はない。
でも「時間を大事にしたい」と思う気持ちだけは、いつも持っていたい。
それは、“時間がある”現代だからこそ抱ける、贅沢な感覚なのかもしれない。
おわりに
寿命が30年だった時代から、100年を見据える時代へ。
その変化は、数字で見るとたった数センチのグラフの上昇だけれど、
その裏には、人々の暮らし方や考え方の大きな転換がある。
今この瞬間も、私たちはその折れ線の先に生きている。
そのことに改めて気づいたとき、「時間を無駄にしたくない」と素直に思えた。
何か特別なことをする必要はない。
今日の過ごし方を、少しだけ意識してみる。
そんな小さな選択が、人生100年時代を少しずつ、豊かにしていくのだと思う。